アーティスト
ブルーノ=レオナルド・ゲルバー
ブルーノ=レオナルド・ゲルバー

「彼の世代で最も偉大なピアニストの一人」?ルービンシュタイン「20世紀の最も偉大な百人のピアニストの一人」?ディアパソン誌(フランス) オーストリア、フランス、イタリアの血を引く音楽家の両親のもとアルゼンチンに生まれる。3歳半のとき母からピアノの手ほどきを受け、5歳でアルゼンチンでの初めての演奏会を行う。6歳でヴィンチェンツォ・スカラムッツァに師事。翌年ゲルバーは重い小児麻痺にかかり、1年以上寝たきりの生活を送ったが、両親はベッドの上でも弾けるようにピアノを改造、ゲルバー少年は練習を続けた。 15歳の時、マゼール指揮の下、シューマンの協奏曲を演奏。19歳でフランス政府の奨学金を得てパリに留学。演奏を聴いたマルグリット・ロンは「あなたは私の最後の、しかし最高の生徒になるでしょう」と語り、1961年のロン=ティボー国際コンクール第3位入賞時には、彼こそ優勝にふさわしいとする聴衆とマスコミの間で大いに物議を醸した。 以後、ゲルバーはカーネギーホールやザルツブルクなどの音楽祭でのリサイタルやチェリビダッケ、デュトワ、ロストロポーヴィチなど著名な指揮者とベルリン・フィル、パリ管、ニューヨーク・フィル、NHK響などの共演と華やかな活動を繰り広げている。 また、レコーディングも世界的に高い評価を得ており、デンオンに録音したベートーヴェンのソナタのうち、最初のものはニューヨーク・タイムズ紙の1989年最優秀録音のひとつに選ばれている。