1974年ライプツィヒ大学合唱団を指揮し、翌年には音楽監督に就任。1978年にはバロック音楽、特に大バッハのカンタータと声楽曲を演奏することを目的に、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーとともに「ライプツィヒ新バッハ合奏団」を設立。ブランデンブルク協奏曲集の録音で受賞したドイツ・シャルプラッテン賞をはじめ、国際的な数々の賞を受賞し、この楽団とともに指揮者としての国際的な認知度、特に東西ドイツ統一前のヨーロッパやアメリカに名前が知れ渡った。1987-91年ライプツィヒ放送交響楽団(MDR)の首席指揮者を、1990-2003年ザールラント音楽大学指揮科の教授を歴任。客演指揮者としてもドイツを中心に、セントポール室内管弦楽団、ザンクト・ガレン交響楽団、フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団、バーデンバーデン・フライブルク南西ドイツ放送交響楽団など多く楽団から招かれた。1991年ザルツブルク音楽祭でザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団を初めて指揮して以来関係が深まり、スペインや北米のツアーを成功させている。1991年からはハンブルク・カメラータと密接な関係を持つようになり、2001年に音楽監督に就任。ムジークハレでの定期演奏会のほか、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン、メクレンブルク・フォアポンメルン、MDR夏などの高名な音楽祭にも出演。2000年からは、オランダ・シンフォニア(旧称:北オランダ・フィル)の初代定期客演指揮者も務め、2004年には同団と、ウィレム・メンゲルベルク以来伝統の「聖金曜日コンサート」としてバッハ「マタイ受難曲」をアムステルダム・コンセルトヘボウにて演奏。レコーディングは幅広くバラエティに富んでいる。バッハ、ヘンデル、ドビュッシーの管弦楽作品をドイツのカプリッチョに、モーツァルトの交響曲と初期のオペラをベルリン・クラシックスに、ラウタヴァーラとヴァイルの作品をフィンランドのオンディーヌに録音しているほか、シェーンベルクやアイスラー、デッサウなどドイツの現代作曲家の作品をエテルナに録音している。2015年4月より札幌交響楽団首席指揮者に就任。