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最初に、「アイーダ」の音楽的な魅力は?沼尻:「清きアイーダ」、凱旋行進曲、フィナーレのラダメスとアイーダの二重唱など、そこだけ抜粋してコンサートで演奏されるような、耳になじんだメロディーがたくさんあるのが、まず、すごい。こんなオペラはあと「カルメン」くらいでしょう。音楽のスケールが大きく、すばらしい旋律が全曲を通してちりばめられています。凱旋のシーンでは本物の象まで使った演出も過去にあり、「アイーダ」の壮大さは舞台の規模だけで語られがちですが、音楽そのものの壮大さもクローズアップされるべきです。「壮大」をめぐる誤解をぜひ解きたい。 並河:ヴェルディの描くヒロインは、「大きさ」が表に出やすい。でも、音楽は計算し尽くされている。こまやかな表現ができないと、壮大さは出ませんね。 沼尻:管弦楽の京都市交響楽団は「V9」のほとんどをオーケストラピットで演奏しています。しかも最近の充実ぶりは素晴らしいので、「アイーダ」はとても楽しみです。 沼尻:メゾにとって、アムネリスは夢みたいな役だと言いますね。難しいところは、みんなアイーダが歌ってくれるし(笑)。 並河:でも、アムネリスがいないと、アイーダも引き立ちませんから。
いまは奴隷に身をやつすエチオピアの王女アイーダと、将軍ラダメスの愛。そこに横恋慕するエジプトの王女アムネリス。ストーリーは、ヒーローをめぐって2人のヒロインが対決する、オペラではおなじみの構図ですね。並河:「ヒーローがふらふらしているから、女性2人の運命が過酷になる」と感じる作品、確かに多いですね(笑)。でも、ラダメスは、アイーダへの愛を一途に貫いてくれるから、許せてしまう。 沼尻:二人の死をもって終わる究極の愛の物語ですが、死は終わりではない、死の世界と生の世界はつながっているんだというヴェルディのメッセージを感じます。
「トゥーランドット」に続いて演出は粟國淳さんです。沼尻:粟國さんは日本に久々に現れた、大きなオペラのできる演出家。大がかりな舞台を隅々まで見渡す力があります。日本の若手演出家は低予算オペラの仕事がどうしても多くなるから、なかなか大きなオペラを作るスキルが得られないのだけれど、粟國さんはあの力をどこで身につけたんでしょう。やっぱりオペラ演出家だったお父様のDNA? 並河:私は、粟國さんとは新国立劇場の「おさん」、びわ湖ホールの「トゥーランドット」、大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスの「コジ・ファン・トゥッテ」に続いて、今回の「アイーダ」が4作目。舞台がオーソドックスであっても、いつも新しさがあり、歌っている方も興奮させられます。イタリア育ちの粟國さんからいただくエッセンスも貴重。つい日本的になりがちな表現が、粟國さんのちょっとしたアドバイスで大きく変わるんですよ。 沼尻:「南の国」の雰囲気がありますよね、粟國さんには。
「オペラのびわ湖ホール」という評価がすっかり定着しましたが、オペラをつくる側にとって、このホールの良さはどんなところでしょう。並河:まず、音響。「アイーダ」のようなオーケストラが大編成の作品では、歌い手はとても助けられます。これだけたっぷり時間をかけて制作できる環境も理想的ですね。リハーサルを重ねれば重ねるほど、歌手は安心して歌えますから。 沼尻:この劇場が借りものではなく、制作者と一体であることが大きいです。自由に稽古スケジュールも組めるし、実際のホールを使っての稽古にも時間がかけられる。新国立劇場やびわ湖ホールの誕生によって、近年日本ではこのような、お客様から直接見えないところの環境も、オペラをつくる「世界標準」に近づいて来ました。歌手やスタッフの実力も上がって、びわ湖に海外から著名な演出家が来ても、ただ「教えてもらう」のではなく、対等なコラボレーションとして成立するようになっています。 並河:それは本当に素晴らしいですね。 沼尻:でも、このような環境は、日本ではまだ「点」の存在。びわ湖のような劇場が日本の各地方に一つずつでもあれば、「点」がつながって「輪」になり、好循環が生まれ、日本のオペラ環境はもっと大きく変わります。若杉弘さんをはじめとする諸先輩方がオペラのために重ねた努力を、僕たちの世代が次に進めなければいけないですね。滋賀県は文化的な根っこの深い土地です。だからこそ「びわ湖ホール」ができた。「びわ湖ホール」は突如出現したハコではなく、すでにしっかりした根の上にあると、ここでの仕事を重ねるにつれ実感しています。日本には他にも同じような文化的地域がたくさんありますから、そこからオペラ劇場を熱望する声が上がってくるようにすると良いですね。そのためにも今回の「アイーダ」を良い舞台にしなければと思っています。 |
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